呉若石・鄭英吉共著「 万病に効く足裏マッサージ」台湾式足ツボマッサージの「若石館」です

  

プロフィール

     
呉神父足部健康法
創始人 呉 若石
  
呉若石1940年、スイス生まれ。台湾・台東市に宣教師として派遣され宣教活動に従事。1978年、独学で足裏按摩を学び自らのリューマチを克服したのち、いったんスイスに帰国し本格的な修行を開始、台湾に戻ってからは教会信徒の治療にあたる。その神秘の治療効果はマスコミで広く紹介されるところとなり、さらに台湾初の足裏マッサージの専門書を出版するにいたる。治療を求める患者の増加にともない、研究会および協会の設立による普及活動を展開。現在「呉神父の足裏マッサージ」は中国人社会での絶大な知名度を誇るばかりでなく、世界的にも高い評価を得ている。多くの患者を救った呉神父は「足裏マッサージの父」と呼ばれ親しまれている。
 若石健康法の特徴は、痛みがなく、正確で、効果が高く、快適であることです。過去の「悲鳴をあげるほどの痛さ」はまったくなくなりました。「痛ければ痛いほど効く」という認識は、すでに陳腐(ちんぷ)であるばかりか間違いであり、健康に害をもたらすことさえあります。ときには、もむ力があまりに強すぎて、皮下出血を起こして化膿することさえあります。正しい足裏マッサージは、それぞれの反射(はんしゃ)区(く)(体の各部の異常が現れる特定の部分)を適切な力でもむことで、非常に快適な刺激を与えるのです。
 思い起こせば、初めて台湾で布教活動を始めたのが33年前でした。その後、慢性関節リウマチによるひざの激痛に悩まされていたときに、ドイツ語で書かれた足裏マッサージの本を手にしたことが、この道に入るきっかけでした。その本で学んだ知識によって、薬にたよらずに痛みから解放された私は、足裏マッサージを自分一人のものにしておくことができませんでした。病気に悩まされている数人の方々に施術(せじゅつ)したところ、思いがけず口伝えに広まり、治療を望む人たちが日に日に増えていったのです。私は足の反射区の研究を進める一方で、何人かの生徒をとって彼らにも治療法を教え、悩める人々に奉仕させました。
 その後、スイスに一時帰国し、H・マザフレ(Hedi Masafret)女史のフット・レフレクソロジー学校で教えを受け、台湾に戻ってからも、新しいマッサージ法の研究に取り組みました。このとき、「台湾人は苦痛に強いから、早く病気が治るなら、少しくらい痛くても我慢できるのだ」という話をする人がありました。そこで、かなり長期間にわたって、われわれは「強いもみ方」を用いてきました。こして徐々に「台湾式足裏マッサージ」が形成されてきたのです。
 幸いにも、24年前に、中国医学の大家である鄭英吉先生と面識を得る機会に恵まれました。鄭先生は、自ら発明したマッサージ棒を使って、「軽いもみ方」を実行していました。鄭英吉先生は、「軽く、柔らかく、正確で、よく効く」もみ方を主張していたのです。「陰陽五行説」を発展させた彼の学理は、若石健康法の理論と方法をより完璧なものへと導いてくれました。私たち二人の「強いもみ方」と「軽いもみ方」がお互いの不足を補い合ったことは、まさに「陰陽相済」の道理にかないます。
 若石健康法が世間に知られ始めたころは、毎日、200〜300人の患者さんが治療を求めて殺到しました。けれども、私たちには2本の腕しかありません。日に夜をついで働き、極度の疲労の中で1時間か2時間しか睡眠をとれないこともありましたが、それでも「人助け第一」と考え、人々を病苦から救う機会を神から与えられたことに深く感謝しました。
 患者さんの足が私の手にゆだねられたとき、私は彼らの安心と信頼の気持ちを感じます。そして、私も足をさわることで、患者さんの病状が日に日に回復していることを知って喜びを感じます。この喜びは、心の奥底からこみ上げてくる神への感謝と賞賛です。福音を伝え、人を病苦から救うことが神に対する最高の賛美となるのです。私は若石健康法を一つの善行とし、全人類の健康に祝福を捧げたいと思います。
(万病に効くマッサージ 呉若石・鄭英吉共著 深田恵美子翻訳から)

  

  

台湾呉神父健康法研究会
理事長  鄭 英吉
  
鄭英吉台北師師範専科学校卒業後、国際医科交流大学にて医学博士号を取得。音楽教育に25年間従事するかたわら、23年間にわたる足裏マッサージの研究と30年間にわたる中国医学の研鑽に努める。1983年から、呉神父とともに足裏マッサージの研究を始め、中国医学の立場から呉神父にさまざまなアドバイスを提供。二人三脚の研究活動はやがて陰陽五行思想を核とした新しい若石健康法として実を結ぶ。1984年から呉神父とともに国内外の学術会議に参加。現在は呉若石神父国際交流会の会長として活躍している。
   ごじゃくせきしんぷ
私と呉若石神父は、神父が24年前に足裏マッサージによる治療を施(ほどこ)したころに知り合い、これまでに互いに研鑽(けんさん)し合いながら、友情を育んできました。私たちは最も関係の密接な研究者仲間であり、実践のパートナーです。私は医学理論や治療法においていささかの知見を得れば、すぐに神父とともに検証し、ともに国内外の文献にあたって議論を重ねつつ、実際の治療方法に関する考え方について話し合いました。
 ところで、幼時から胃腸が弱く、ストレスを感じやすい体質であった私は、ずっと胃薬が手放せませんでした。ある日、バドミントン団体戦の決勝戦に臨んだときのこと,激しい優勝争いとなり、私が勝てばチームが優勝するという場面で、私は強いプレッシャーを感じていました。そのうえ、新品のシューズをはいていたせいか、土ふまずが腫れてしまい、足を地面に着けるだけで涙が出るほどの痛みがありました。しかたなく、痛む部分にメントール系の軟膏をぬり、ゆっくりとマッサージすると、徐々に痛みがやわらいでいきました。一日、二日・・・とたつうちに、硬かったしこりはマッサージによってすっかりなくなり、痛みもずいぶんとらくになっていました。
 そして、ある日私は、自分がもう何日も胃薬を飲んでいないことに気がつきました。さらに、足裏マッサージをするようになってから、胃がまったく痛まないことに気づいたのです。まさに目からウロコが落ちる思いでした。それからというもの、私はひまさえあれば足裏をマッサージし、硬くなったしこりや痛点を見つけては、もみほぐしました。周囲の人々からは「たとえ水虫を治すためでも、そんな不潔なことはしない」と笑われましたが、私だけは足裏マッサージの心地よさを知っていました。
 その後、台東(たいとん)に住む友人から、外国人の神父が私と同じような足裏マッサージをしているという話を聞きました。私はすっかりうれしくなって、その神父に教えを請(こ)うために、さっそく台東に飛んで行きました。
 私は針灸の理論で足裏マッサージを考えていたころから、さまざまな疑問を抱えていたため、神父に会うなり、山ほどの質問を浴びせかけました。それに対し、呉神父はこういいました。
 「足裏マッサージは中国のものです。私はそれを持ち帰って来て、あなた方にお返ししましょう。研究はあなた方の仕事ですよ」
 呉神父は私に正しい研究の方向性を示唆(しさ)してくれました。中国医学の理論と足裏マッサージを結びつけ、中国医学を柱として西洋医学の神経学や生理学で不足を補うという方法です。
 20年余りにわたるわれわれの研究は、国内外の専門家の研究成果を参考にし、さらに豊富な臨床事例を蓄積してきました。しかしながら、台湾の多くの仲間たちが若石健康法の普及に努めている今日でも、社会や一般大衆の目にはまだ厳しいものがあります。
 若石研究法は、これからも進歩し続けるでしょう。私たちには、まだ研究したいことが山ほどあります。みなさんとともに努力し、21世紀を、誰もが副作用の無い家庭療法で健康を回復・維持できる時代にしていきたいと思います。

  

  

日本呉神父健康法研究会
理事長  深田 惠美子
  
1958年、台北生まれ。
84年に来日し、上武大学商学部を卒業後、鄭英吉氏に師事。
99年に若石健康法の施術院「若石館」を開業するとともに施術師の養成に従事。
02年、呉若石神父健康法研究会を設立し、副理事長に就任。
03年より理事長。

  

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